某院長の誠意
こんにちは。
人間とお酒が大好きな大山です。
今回は、現在某院長が交通事故を起こしてしまったニュースを見て思ったことです。
交通事故のニュースについて、あるコメンテーターの発言です。
「本当に自分の過失だと思っているならば、マスクにサングラス、帽子を外して顔を見せ、きちんとメディアに対応するべき」
この発言って、どうなんでしょうか。
私は少し怖いなと思いました。
加害者に対して、人間として見ていないような気がしたのです。
もちろん交通事故の加害者を擁護している訳ではありません。
交通事故はあってはならないことだし、被害者や加害者の家族友人等、人間関係にバタフライエフェクトの如く多大な影響を及ぼします。
車を運転する際は、
交通事故を起こしたら人の人生だけでなく自分の人生も台無しにしてしまうということを念頭に置いておきたいですよね。
さて、話を戻します。
私が疑問に思ったのは、
マスク+サングラス+帽子=「誠意がない」
という考え方です。
マスクをしているのは花粉症なのかもしれない。
サングラスをしているのは視覚過敏で、反射した日光や電気の光が辛いのかもしれない。
帽子をしているのは髪の毛が薄いことが悩みで、どうしても帽子がないと外に出られないのかもしれない。
一方向から見ただけでは分からないことが沢山あるのです。
人それぞれ悩みはありますよね。
「彼女がいなくて寂しい!」という、共感を得やすい悩みから、
「ADDの特性からしっかりしていない人と思われてしまいやすい」という、中々理解してもらえない悩みまで、人様々です。
その人の辛さや悩みを知らないからこそ得られる客観的視点もあるかもしれない。
けれど、その人にしか分からない特性による辛さもあると思うのです。
他人が勝手に判断することは、その人にとって凶器になり得ます。
ニュースで発言しなければならないコメンテーターの立場もあるだろうし、私は某院長のことを何も知りません。
私も勝手に思ったことを発信しています。
他人の行動に関して何か言う時に気をつけることは2つです。
①相手の環境や気持ちを加味し、
適切に言葉を選んで発言すること。
②発言したことに責任を持つこと。
きちんと相手を人間だと認知し、
ひとりの人間として向き合いたいなぁと思います。
何もしない時間の大切さ
こんばんは。
人間とお酒が大好きな大山です。
今回はぼけっとする時間の重要さについてです。
私は、意識的に「何もしない時間」を作ることで、他のことの能率が上がる。と思っています。
やらなきゃやらなきゃ!って思って、でも出来なくて、結局何もしなかった時間にはなんの意味もない。
だってやらなかった自分への反省とか、罪悪感だけが残ってしまうから。
それってなんか残念じゃないですか?
だって、ずっと頑張ってきたのに、何故かたった1日の頑張らなさで自己肯定感がぐーんと下がっちゃって、もうダメだ私は。なんて思ってしまうって。
わたしはそれは残念だなと思います。
いいんだって!
そういう時もあるって!
サボらなきゃいろんな人間均衡保てなくなっちゃう時もあるんだって!
だって人間だからー!
と言ってあげたい。
大丈夫、みんなそんなもんだし、あなたよく頑張ってるわぁって。
頑張りすぎだよーって。
中々伝えるのは難しいんですけどね。(笑)
でも、生真面目で、いつも何かを頑張らなきゃと思っていて、でも自分が思うように完璧にはできない人。
そういう人は、まず生真面目な自分がいること、完璧主義な自分を受け入れることが大切なのです。
そういう子に限って、「完璧主義だね」って言っても、
「いや、もっと完璧主義ですごいしっかりしてる子は世の中にいるはずだから、私なんて完璧主義にもなれない。」
って言うんです。
でもそうじゃなくて、そもそもそう思ってしまうくらい、あなたは完璧主義なんだよ。
別にそれが周りから見てどうとか、そういうのは無いんです。
だってその子自身が感じたことだから。
私は、
あなたはあなたでいいんだよ。
今感じてる気持ちを全て吐き出してもいい場所があるんだよ。
大丈夫、わたしはあなたの味方だよ。
って、常に伝え続けて行きたいなと思います。
世の中の需要に応えるということ
こんばんは。
最近仕事が忙しすぎてお酒が飲めなかったので本日お酒dayにして一人の時間を楽しんでいる大山です。(笑)
今回は、タイトルの「世の中の需要に応える」ということで、【サービスラーニング】について書いていきたいと思います。
サービスラーニングってなんぞや?と思う人もいると思うので、説明致します。
サービスラーニングとは、『学習』を見返りとして、ボランティアサービスを提供する学生側とそれを受ける側とが対等の互酬関係に立ち、学生がボランティア活動の経験を授業内容に連結させ、学習効果を高めるとともに、責任ある社会人になる為に行うボランティア活動のことです。
長くてよくわからん!と思うでしょうが、単純にいえば、
学生→ボランティアするので学習出来る環境をください
受ける側→環境を提供するのでこれから社会の役に立ってください
ということですね。
お互いの利益が相互受容された状態です。
ちなみに、サービスラーニングというのは
Community service learning「地域のプログラム」
school service learning「学校のプログラム」
という風に、直前に単語を加えて具体化することも出来ます。
サービスラーニングには、
社会的文脈 自己
・ ↔️ ・
社会的構造 グループ
⬆️
メンター(=マネジメントする人)
という構造があります。
ではこれを大学でどう学んでいくのか?
1998年、心理と教育を合わせて、心教専攻という学科がありました。
しかし、専門分野を決める時になったら、その内心理が26人、教育が4人になってしまいました。
そこで、これではバランスが取れない!と、実践学専修という授業を用意しました。
しかし、実践学専修は、「主体的・対話的で深い学び」の集大成です。
どういうことかと言うと、実践学専修では、遊び心からくる研究心を行う集大成だということです。
例えば、学校支援ボランティアという、特定の学校の、授業についていくことが困難な子どもの支援を行うボランティアがありました。
しかし、ボランティアスタッフとして行っていた大学生は「授業や生活支援が出来ない!」と反発しました。
これは確実にサービスラーニングの需要と供給が成り立っていない状況ですよね。
大学生→授業をしたり、生活指導がしたい!
受け入れ側→雑務や誰でも出来るような仕事を請け負ってほしい!
この需要と供給が成り立ってなかったんですね。
ただ、このようなサービスラーニングで教育がこれから、均等化や水準の維持向上がなされていくことは間違いないと思うので、これからも試行錯誤していけたらいいなぁと思います。
まとまらなくてごめんなさい(笑)
でも、サービスラーニングの考え方は世の中に多く存在する営業職や管理職にも通ずるものだと思います。
サンドバッグが欲しい人
こんにちは。
人間とお酒が大好きな大山です。
先日、私の仕事先にこんな人が入社してきました。
とても仕事が早くて、ご機嫌な時はとっても気の良いおじさまなのですが、
自分の気に入らないことがあるとものすごい勢いで攻め通す人です。
ちなみに関西弁でまくし立てるのでめっちゃ怖く聞こえるんです(笑)
ある日、後輩がそのおじさまと衝突して、泣いてしまいました。
「なんであんなに怒るのー怖いー」と。
そこで今回は、付き合っていかなきゃいけないけれど、少し疲れてしまう相手について書きたいと思います。
ただし、「疲れる」という感覚は極めて主観的な感覚なので、もしかしたら後日表現が変わっているかもしれませんのであしからず、(笑)
疲れる相手には2つのタイプがあります。
①ただ自分の怒りをぶつけたい
②相手を批判して自分を保ちたい
①ただ自分の怒りをぶつけたいタイプ
このタイプは、大方正しいことを言っているように聞こえます。
しかし、4割方は合理化によって怒っている部分があるので、大半の人は屈服してしまいがちです。
例えとしては、冒頭に述べたおじさまの事例がドンピシャです。
ただ怒りをぶつけたい人は、本当はとても不器用な人です。
間違っていると感じたことを伝えたいのですが、上手く言葉や態度に表すことが出来ないのです。
プラス、不器用なせいで上手くいかなかったことへの蓄積された不満が、怒りとして常に溢れ出てしまう状態になっているのです。
②相手を批判して自分を保ちたいタイプ
このタイプは、大変プライドが高く、自分に自信がありません。
事柄や人に対して粗探しを行うことで、対象を落とし、自分の地位を維持します。
無意識にこの言動をしているので、指摘することも出来ず、たとえ指摘しても聞き入れないのです。
こんなタイプの人たちと関わる時、私は常に頭に置いておく言葉があります。
「私はサンドバッグ。」
ただ怒りを受け止める。
必要があれば謝る。
自分が悪いことには謝る必要はないけれど、固定概念に取り憑かれた人に何を言っても無理です。
(この場合、時間と労力を掛けてまで、相手のために、固定概念を取り除いてあげたいと思うような相手の場合は別ですけどね)
そして、どうして相手が怒っているのか想像する。
ちなみにですが、相手を不快にさせてしまう言動(むやみに怒る・相手を批判する等)をする人は、過去に、自分自身が辛く苦しい経験をしてきた人なのです。
どうしてこの人はこういう言動をするんだろう?
と考えて、暖かい目で見ることが大切かなぁと思います。
見たくないものに蓋をする子
こんにちは。
人間とお酒が大好きな大山です。
人は防衛機制という本能的な、困難回避思考を持っていますよね。
防衛機制とは、自分自身が他者から非難・否定されることを恐れ、傷つかないように自分自身を守ろうとすることです。
例えば、抑圧・合理化・投射・補償・置き換え等様々なものがあります。
見たくないものを無かったことにする。
知りたくないことを保留する。
嫌なことに蓋をする。
感じたくないことを放棄する。
私が出会った子にこんな子がいました。
彼女はまだ高校生。真面目で優秀な子でした。
勉強も部活もできるし、家族とも良好な関係でした。
しかし、中学の頃突然学校でいじめが始まってしまったのです。
彼女は、いじめの4層構造(①被害者②加害者③観衆④傍観者)でいうところの、傍観者だったらしいです。
そして、それを機に、彼女は人と関わることが怖くなってしまったと言いました。
不安障害になってしまったのです。
彼女と初めて会った時、何かおかしいな、何があったのかな、と感じてはいました。
何故か、すごく異常な程の「かまってちゃん」だったからです。
私が違和感を感じた点は3点でした。
①初対面で言いにくいことも話してくれたこと
②精神が安定してないと自分で言っていたこと
③一見コミュニケーション能力に問題は無さそうだったこと
彼女と会話を重ねていく上で、
彼女は自分の見たくないものを無意識に見ないようにしていることに気付きました。
滲み出てくる辛さに、自分で気付けていないのです。
見たくないものに蓋をしてしまうのが人間だけど、でも、自分が何に怖がっているのか分からないほど怖いことは無いと思います。
大切なのは、自分が見たくないものに対して、見ないフリをしないこと。
無かったことにしないこと。
自分の感情を、自分が受け入れてあげること。
残念ながらこれは、自分で行うしかないのです。
どれだけ他者が「いじめの経験が今の不安に繋がっているんだね。」と言っても、彼女自身が受け入れられなければ意味が無いのです。
自分が見たくないものを怖がらないで欲しい。
もしかしたら、蓋を開けてしまったらパンドラの箱で、闇がいっぱい詰まっているかもしれない。
だけど、
怖くなってしまったら、私がそばにいるよ。
私が全部全部受け止めてあげるよ。
そんな風に、伝え続けていきたいなぁと常々思っています。
人に好かれる方法
こんにちは。
人間とお酒が大好きな大山です。
今回は、わたしが仕事やプライベートで実践してきた人に好かれる方法についてです。
人に嫌われるよりは、好かれた方が楽ですよね(笑)
仕事でも協力し合えますし、友人関係でもいざって時に助けて貰えます。
「好き」と感じる気持ちには、様々な感情があると思いますが、ここでは、人として単純に好意を持ってもらうという定義付けをしておきます。
私が思うに、人として好意を持たれる人はこの3点を大切にしている人だと思います。
①まず褒める
②全面的に受け止める姿勢
③相槌+そのまま返す
①まず褒める。
これは仕事をする中で、私に興味が無い人への関わり方から学んだことです。
無理に褒めるとしらけてしまうので、注意が必要です。
1番楽で、相手の心を掴みやすいのが持ち物を褒めることです。
例えば、まず出会った瞬間に「お財布可愛いね」とか、「そのアイコス珍しいね」などです。
《注:本人の顔や体型について触れてしまうと、意外とそれがその人のコンプレックスだったりするので、やめてください。》
褒められて嫌な気持ちになる人は、口でなんと言っていようが、ほぼいないのです。
だから、最初の掴みできちんと話したくなるような雰囲気を作ってあげることが大切です。
②全面的に受け止める姿勢。
これには2つの要素を含まれています。
(1)全面的に→否定をしないこと
相手「最近辛い」
×私「でもそれは甘えてるだけなんじゃ?」
〇私「辛いこともあるよね」
(1)に関しては、私によく相談をしてくれる後輩に「なぜ私に色々話してくれるの?」と聞いたら、「大山さんは僕のことを絶対否定しないで聞いてくれるから」と答えてくれたので、ここに書き残しました。
(2)受け止める→相手を尊重すること
相手「私優柔不断な人嫌い」
×私「それは良くないよ」
〇私「そういう考え方もあるよね」
(2)の良い例えが思い付かずこんな感じになってしまいましたが、「あなたがありのままのあなたを受け入れられないなら、私が代わりに受け止めてあげるよ。」というスタンスです。
③相槌+そのまま返す。
これは、相手が話をしやすくなるための手段です。傾聴でもよく言われることですよね。
相槌→「うんうん」「そうなんだね」「そうなの?」
そのまま返す→相手「不安になっちゃう」
私「不安になっちゃうんだね」
特に悩んでいる子は、
人に話すことで自分の頭の中を整理している子が多いので、相槌とそのまま返すことをしていると、そのうち勝手に自己解決していくことが多いのです。
とても初歩的な3点ですが、実践してみると相手の反応は全く違うものになってくると思います。
ぜひ試して見てくださいな。
変わらないマーク式センター試験
こんにちは。
人間とお酒が大好きな大山です。
今回は平成の人間は思い出深いであろう、センター試験についてです。
センター試験というのは、大学入試センターが行う一斉マーク式の試験のことです。
私はセンター試験で散々苦しんだ思い出があるので、あまり思い出したくはないのですが(笑)
センター試験が変わる!!!
という文言を聞いて興味が湧き、調べてみました。
国語で記述が入ってきたり、大学側も大学独自の試験を変えてみたり、様々な取り組みがあるようですが、、、
実際大して変わっていない!!!!
衝撃でした。マークシートを塗るためだけの、滝修行とも言える丸暗記教育法がやっと無くなると思ったのに。
ただ、大して変えられなかった背景には、AI技術の進歩の遅さも関係しているようです。
ところで、センター試験を記述式にすると、困ることは何があるでしょうか?
そうです、 評価の仕方ですよね。
記述式を評価を点数で判断するのですから、問題自体の偏りも課題になってきます。
そこで、様々な民間の記述式テストを、集計し、AIで分析をし、1個人の学力を測ろう!と考えたらしいのです。
しかし、期待していたAIは中々理想の形に届かず、、、
英語に関しても、センター試験で英語の力を測るのではなく、民間のベネッセや英検の結果を使っていくという方針もあるそうです。
が、民間導入に対して東京大学や名古屋大学等有名大学は、拒否しているらしいので、
これからの英語試験の流れを読むのは、推理小説3行呼んで犯人を当てるぐらい難しいと思います。
ただ、現在新しい試みとして、学びのための基礎診断というものが2019年度から導入を開始されています。
これは、小学校全国学力調査の高校生版といった感じです。
他にも、新しい統合学習システムを作るために、ベネッセとソフトバンクがコンビを組んだ「classi」というものもあります。
日本の教育が進展していないわけではなくて、現在紆余曲折の中にいるんですよね、きっと。
現在移行期にあたっている新学習指導要領も話題ですよね。
2024年度から、今の中学一年生高校2年生になった時、完全に新しい学習指導要領になります。
そして、センター試験も2025年に変わることを目指しているそうです。
あと何年かで日本の教育は革命を迎えることが出来るのか不思議ですし、多分革命まで行かずにゆっくりゆっくり変わっていくのだろうと思います。
ただ、これから先何年も、人が生きていく上で必要な学力を測るのがマークシートというのは、悲しいなぁと思う今日この頃です。
聞きかじって自分なりに調べて考えたことですので、間違っている情報があったり、気分を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ございません、、、。